hujimoto syuhei
藤本 修平 さん
◊♦ Profile ♦◊
・東京都世田谷区出身、桐朋高等学校卒業
・2009年 弘前大学医学部保健学科理学療法学専攻卒業
・2011年 弘前大学大学院保健学研究科博士前期課程総合リハビリテーション科学領域修了
大学院在学中は津軽保健生活協同組合健生病院に非常勤で勤務し臨床業務に従事
・2011年~2015年 東京湾岸リハビリテーション病院に理学療法士として勤務
・2015年~2016年 株式会社メドレー新規事業開発部にて、ライター・編集者としてヘルスケ
ア系Webサイトの運用を行う
・2016年~2017年 株式会社リンク&コミュニケーション事業開発マネージャーとして、ヘル
スケアアプリの開発・プロダクトマネジメントを行う
・2017年~2020年 株式会社豊通オールライフシニアマネージャーとして、保険外のリハビリ
テーション施設の開発・運営、介護系AIアプリの開発を行う
・2019年 京都大学で博士号(社会健康医学)を取得
・2020年~ 法政大学経営学研究科マーケティングコース博士前期課程に在学中
・2020年~ 株式会社まぁてぃヘルスケア代表取締役として、ヘルスケアに特化したマーケティ
ング・事業戦略コンサルティングの会社を経営
・2020年~ リハテックリンクス株式会社社外取締役
・2021年~ 静岡社会健康医学大学院大学准教授に就任予定
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大学進学時はいくつかの候補から、祖父が弘前大学の前身である官立弘前高等学校の卒業生だったこともあり、弘前大学医学部保健学科を選んだ藤本さん。在学時は対馬栄輝先生に師事し、理学療法について学ぶ。健康増進同好会(フットサル・バドミントンサークル)で活動していた。卒業後は理学療法士として病院に勤務しながら、公衆衛生学を学ぶため京都大学大学院へ進学。そこでヘルスケアビジネスの可能性を感じたことをきっかけにビジネスの道へ進むことに。企業で経験を積みながら、副業としてコンサルティングを行う。現在は株式会社まぁてぃヘルスケア代表取締役、リハテックリンクス株式会社社外取締役を務める傍ら、法政大学大学院にてMBA取得を目指している。2021年4月より、静岡社会健康医学大学院大学の准教授に就任予定。
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副業だったコンサルの規模が膨らみ法人化
-ご自身の会社の概要と、現在の主な仕事内容を教えてください。
現在は、ヘルスケア分野に特化した事業戦略やマーケティングのコンサルティング会社「株式会社まぁてぃヘルスケア」を経営しています。顧客は、製薬企業、ヘルスケアスタートアップ企業、病院・クリニック、介護事業所等、医療・介護・福祉の中で経営戦略を進めたい企業です。元々は個人事業で行っていたものを、2020年に法人化しました。
主な仕事内容は、顧客の経営戦略において、マーケティングの適正化や事業戦略立案の相談に乗っています。医療機器やヘルスケアアプリを作りたい企業、病院・クリニックや介護事業において採用戦略の立案や収益を拡大したい企業、漠然とヘルスケアの中で新規事業を開発したい企業が顧客ですので、ヘルスケアの中でも幅広い知見を基にコンサルティング業務を行っています。
-コロナ前後では、顧客数、顧客の経営状況、顧客からの相談内容等、何か変化があったでしょうか。
コロナ後は顧客数が増え、依頼される事項が多くなりました。コロナ禍で今までやっていたことが通らなくなってしまった企業や介護施設は、売り上げを上げるためにはどうすればよいか、新たな戦略を立てなければならなくなってしまいました。私たちの会社は大手のような高単価ではやっていないため、まず試してみることができるので、コロナ禍でお金をかけることはできないが何かしらしなければならない顧客に利用してもらえます。
今までは単純に戦略コンサルティングやマーケティング等を依頼されていましたが、プラスアルファとして、感染対策のアドバイザーになってくれないか、というものが業務としては増えています。例えば、よくテレビ等でコロナ感染に関しての誤った情報が流れがちですが、企業がそれを信じてしまっている現状があるので、それは違いますよと言ったり、私の範疇ではない場合には私の知り合いを紹介して(感染症医学の専門家もいるので)橋渡しをしたり、私にわかることであればプランを示す、といった相談内容が増えています。
また、産業医の少し横にいる立ち位置として私が呼ばれて、このドクターの言っていることって大丈夫かな、といった相談に乗ることもしています。この場合の相談内容としては、コロナ禍で精神を病んでしまう社員が増加している状況でのメンタルヘルス等が多くなっているところに変化がありました。
学会で講演する藤本さん
-現在は自ら立ち上げた企業の代表取締役ということですが、そこに至るまでの経緯を教えてください。
私自身が怪我をした時等にスポーツドクターにずっと診てもらっていて、ドクターになりたかったのです。私立大学の医学部医学科に合格していました。でも、ある時、理学療法士の方が自分にすごく関わってくれている、人と関わる仕事は実は理学療法士の方だと思い、理学療法士になりました。
最初に常勤で就職した先は、病院でした。脳卒中リハビリテーションの有名な病院で、研究も盛んに行っていたため選択しました。臨床で数年間勤務している中で、現場でひとりひとりの患者さんと接する業務への興味と裏腹に、この先もひとりの患者さんと向き合い続けるのか、それともより多くの人たちに届けるサービスを展開するのか、悩みました。また、病院内での社会が非常に狭く感じられたことから、その時期に京都大学の公衆衛生学分野の博士後期課程に進学しました。そこで、ヘルスケアビジネスの可能性を感じたこともあり、理学療法士のスキルを活用できるヘルスケア分野のビジネス業界に出ようと思い、株式会社メドレー(当時はスタートアップの立ち上げ初期。現在は東証マザーズ上場)に参画しました。
メドレーでは、理学療法士のスキルとビジネススキルを掛け合わせることが、市場にとって非常に有用であると感じました。その後、スタートアップ企業1社を介し、一部上場の大手総合商社関連の企業に勤務しているときに、株式会社まぁてぃヘルスケアを立ち上げました。メドレーの時から、個人事業としては副業でコンサルティングを行っていましたが、規模が大きくなり、同時に掛け持つ企業が多くなったため、法人化したという経緯です。
しかし、元々はどこかに所属しながら、副業としてコンサルティングを行いたい気持ちがあるため、2021年4月からは公衆衛生学の大学院大学(静岡社会健康医学大学院大学)に准教授として赴任する予定です。臨床時代からビジネス畑でも研究を継続してきたため、業績がそれなりに蓄積され、教員としてお誘いいただけました。
サービス提供者と顧客の成し遂げたい世界観を重ねて
-仕事をしていく上で、心掛けていることはありますか。また、楽しさややりがいを感じるのは、どんな時ですか。
心掛けているというか、こだわりとしては、仕事について、顧客に求められていることに自分の成し遂げたい世界観を重ねて、マッチするものしかお引き受けしていません。サービスの提供者側と利用者側がいっしょに、なぜこれを選ぶのかというところまでを共有し、それによって自分たちで決めたことは責任を持とうという世界観を持っています。例えば一方的に自分が持っている技術ありきでサービスを売るタイプの企業は、この世界観に反してしまいます。目の前の利益や従業員のことを考えれば、全ての依頼を引き受けるのが正解かもしれませんが、私たちが成し遂げたいことに反する組織や個人を顧客にはしません。
楽しさややりがいを感じるのは、成果が上がったことを前提に、純粋に顧客に喜んでいただけたときです。経営をしていると、楽しさよりも「辛さ」を感じる機会の方が何十倍、何百倍も多いですが、その中で顧客に価値を提供できたと感じた瞬間は、それに替えられないものになります。
-経営の「辛さ」とは、例えばどのようなことですか。
第1に、恐らく経営者はみんな抱えている辛さだと思いますが、従業員がいれば従業員の生活をまず考えなければいけないというところです。私個人でやっている分には好き嫌いで仕事を選べますが、従業員を抱えているし、従業員が頑張ってくれたらそれなりに給料をしっかり渡すのが会社としての在り方だと思います。そこの狭間に立たされている状態というのは、結構プレッシャーになります。第2に、単純に売り上げを上げなければいけないこと。お金をしっかりと渡す代わりに成果を求められるシビアな世界で、原資となるお金には売り上げが充てられるので、売り上げを頭の中に常に入れておかないといけません。本当は成し遂げたい世界観に真っ直ぐ突き進みたいが、売り上げに頼らなければならないところが当然出てくるので、そこがひとつの辛さかなと思います。最後にいちばんの辛さは、顧客に価値を提供できなかった時。新規事業開発という分野だと、100やって1当たる世界なので、当然売り上げにならないことがあります。そもそも事業として失敗することもありますが、その時は自分が生んだサービスなので、それが日の目を浴びないのは、子どもを否定されているような気持になってとても辛いです。
公衆衛生人材としてのビジネスマンを育てたい
-2021年4月からは大学教員に就任されますが、仕事における今後の抱負を教えてください。
現代の働き方として、副業(複業)が当たり前になっていく時代になります。その中で、ひとつの手段に縛られないことが重要です。私は、病院の臨床現場からビジネス畑に移り、経営を経て、大学教員になります。臨床現場の時から副業をしていましたし、ビジネス畑でもサラリーマンをしながら、個人事業を行っていました。大学教員になってもそのスタンスは変わりません。ひとつの手段にこだわらず、目的を達成するためであれば、どんな手段でも取り入れていくことが全体的な抱負です。実は2011年の3月は弘前大学大学院を修了した月で、3月15日に東京に戻ることが決まっていたその4日前に東日本大震災が起きています。青森から車で東京へ出てくる時に、東北自動車道は通れないので新潟回りで帰るという経験をしました。その中で、震災による影響やどうにもコントロールできない要因がたくさんあるということを、公衆衛生学の観点からも理解したつもりなので、何か補助的に、セーフティボックスを持っておくことは非常に大事だと思っています。
-将来の展望や、やりたいことについてはいかがですか。
具体的にやりたいこととしては、理学療法士や作業療法士の業界に、もっと公衆衛生の人材を増やしていきたいと思っています。私たち理学療法士や作業療法士が職業として生き残っていくためには、もしくは業界を活性化させるためには、職域の拡大が必要です。療法士の業界には、公衆衛生学教室の修了生は多くいるものの、その後のキャリアとして「いわゆる公衆衛生学」の中でキャリアをアップさせている人はほとんどいません。そのような人材が育つ環境を設定できればと思っています。また、公衆衛生学の研究は、疾病に注目している時代から、予防に注目する時代へと変化してきています。さらにこの先は潮流が、予防から政策へ、政策から経営へと転換していくため、研究と経営の架け橋となる人を育てていきたいです。理学療法士や作業療法士の研究者ないしは臨床にいる人が持っている技術を、ちゃんと公衆衛生学を介してビジネスにしていく、というのが公衆衛生人材を増やしたいひとつの目的。そのため、現在はMBAにも通っています。
ずっとビジネス畑にいたかったので、大学教員としてのお誘いをいただいた時はとても悩みました。しかし、残念なことに、理学療法士・作業療法士としてやるべき公衆衛生学の研究がされていない範囲が結構あるのが現状です。私のような理学療法士が公衆衛生の分野で教鞭を取ることはなかなかありませんから、それを私が担うことによって、後進たちの育成に繋がるのではないかと思いました。私はビジネスをいっしょに教えることができるので、経営学の側面を含めて教えることで、真の公衆衛生人材としてのビジネスマンを育てていけるのではないかと考え、アカデミアに戻ることにしました。
弘前大学医学部保健学科の建物
公衆衛生学への道を示してくれた弘前大学の恩師
-学生時代に印象に残っていることや、力になったことがあったら教えてください。
学部から修士までお世話になった対馬栄輝先生は、私が最終的に公衆衛生学の道に進むきっかけをくれた方です。対馬先生と出会って「こんな人がいるんだ」と感じ、研究や論文化の重要性について、身をもって経験させていただきました。また、現在はいらっしゃらないですが、私が学生の時にいらした金沢善智先生、岩田学先生は、いつも私のような生意気な学生を支援してくださった先生です。「ただの理学療法士に納まるなよ」と言っていただいた先生方です。たくさんの恩師にお会いして、理学療法士に助けられていたんだという思いを強くしました。ですから、何かしらの形で理学療法士業界の活性化等の恩返しをしたいという気持ちがあります。
-学生時代に現在の仕事に繋がるような活動をしましたか。また、特に首都圏での就職を希望する場合、学生時代にやっておいた方が良いことはありますか。
仕事に繋がっているかどうかはわかりませんが、サークルの総代表を務めたり、他学部の学生と多く交わって、ディスカッションの機会を増やすようには意識していました。医療の世界は非常に狭いので、他の業界の事も知ることができる弘前大学のような総合大学は、この点について特にメリットがあると思います。
首都圏の病院であれば、授業の一貫としてだけでなく、インターンや自主的な実習として、学生を受け入れているところがあります。そのようなところにできるだけ多く行くことをオススメします。私は、大学2年生で聖路加国際病院に自主的に実習に行きました。その時の理学療法士たちとは今だに付き合いがありますし、非常に勉強になりました。また、私はできませんでしたが、医療系職種の学生は、医療系の企業へのインターンも視野が広がり、将来に繋がると思います。
-就職に関する情報の入手や、インターンシップの活用は、どのようにしたらよいでしょうか。
卒業生の先輩に聞くのがいちばん早いです。医療業界でも最近、弘前大学の卒業生が起業したり、企業所属の理学療法士・作業療法士が増えています。
在学生の皆さんへ
医療業界、教育業界、ビジネス業界全てが転換期を迎えています。その転換の潮流に、楽しみながら乗ることができる人は僅かです。学生時代の様々な経験は、その土台となりますし、弘前大学はその土壌があります。混乱が起きやすい時代ですが、乗り遅れないように、常日頃から「やり切ること」を大切に頑張ってください。
(2021年2月取材)