プロフィール 

 

小野 恒(オノ ヒサシ)さん

・岐阜県岐阜市出身、県立岐山高校卒業
・1971年 弘前大学農学部農業工学科農地工学教室卒業
・株式会社鴻池組入社。極東開発工業株式会社、千葉県市川市役所土木専門員
 (非常勤)を経て、東京都葛飾区役所土木専門員(非常勤)に就任。

 

学生時代は農業土木を専攻。映画研究会に所属。就職後は高速道路・橋梁・下水道の工事に従事し、主としてシールドトンネル工事の主任・所長、ジャカルタ事務所長、土木営業部部長を務めた。現在は東京都葛飾区の土木専門員として働く傍ら、本の執筆活動を行っている。

 

 

シールドトンネル工事のため首都圏へ転勤

 

Q.これまでの勤務先の概要と、主な仕事内容を教えてください。

A.1971年に鴻池組に就職し、東北各地で高速道路・橋梁・下水道の工事に従事しました。新人の仕事は、現場監督ですが、学校を出ただけで右も左も分からない若造が、年上の熟練作業者に、作業の指示をしなければならないという、責任の重い大変な仕事です。仕事の仕方は上司から教えてもらいながらするのですが、新入社員の私に時間をかけて、教えてもらう時間がなかなか取れません。それで頼りになり人の良さそうな大工の棟梁に、お願いして教えを請い、現場の利益に繋がるノウハウを教えてもらいました。どんな仕事も実際の現場を一緒に体験することによって、分かるのであって、土木施工法の教科書を読んだだけでは、まったく通用しないことを身に染みて感じました。

その後、高速道路の工事は、全国各地で徐々に開通するに従って、だんだん少なくなり、これからはシールドトンネル工事の時代だと言われ、東京へ転勤となり、東京都内・埼玉県内・神奈川県内で工事に従事しました。いままで経験したことのない工種でしたので、戸惑う事が多く、配属当初はかなり苦労しました。幸い東京では、各工法についての技術発表会が頻繁に行われていて、出席した時には質問内容を社内で報告するようにしました。その後、私が経験した工事現場の苦労した話や皆で改善した話及び失敗した話を、同じ現場に従事した若手職員と共に、仲間だけの工事報告書としてまとめるようにしました。

1987年に新しく設立するジャカルタ事務所の所長として赴任し、営業活動を経験しました。その後、1998年に土木営業部部長に就任、2001年に極東開発工業株式会社環境事業部担当部長として転職しました。60歳で定年退職し、現在71歳になります。建設会社の土木技術者の経験を生かし、市川市役所土木専門員を経て、葛飾区役所が発注する土木工事の仕様書及び設計金額が適正であるかどうかの事前審査業務を行っています。

 

 

人生を左右したジャンケン

 

Q.建設関係のお仕事を目指したのは、なぜですか。就職の経緯や理由を教えてください。

A.農業工学科で学んだ農業土木が生かせる仕事として考えられる、役所・コンサル(設計会社)・建設会社のいずれの道に進んだらよいか、かなり迷いましたが、実際に物づくりに従事できる建設会社を選びました。指導教官の推薦枠のある建設会社の中で、鴻池組を第一志望としましたが、複数の受験希望者があったので、誰が受験するか皆で公平に決めるために、ジャンケンをすることになり、私はたまたま勝てたのです。希望通りの鴻池組に入社できて、仕事も面白くて良かったと思っています。もしジャンケンで負けていたら、別の会社へ入社して、全く異なる道を歩んでいたことを想像すると、人生は運が左右する部分も多いのだと思い知らされました。

 

Q.仕事をしていく上で、心掛けていることはありますか。また、楽しさややりがいを感じたのは、どんな時ですか。

A.民間会社では、安全が第一で利益を出すためには、どうするべきかを常に考えて仕事をしていました。以前、岩手県の国道45号の宮古橋の施工をしました。震災時にテレビで船が橋にぶつかるシーンが流れていましたが、ビクともしない橋に感動しました。

また、台北で現地の建設会社と共同企業体を組んで、地下鉄の国際入札をしたことがあります。孫が修学旅行で台北の地下鉄に乗ることがあり、事前にその話をしたところ、興味をもってくれました。

 

インタビューに答える小野さん

 

 

 

多くの人に読んでもらえる本の執筆をライフワークに

 

Q.今後の抱負(やりたいこと)や、将来の展望を教えてください。

A.今は、好きな仕事をしています。趣味として行なっている本の執筆をしたいと思っています。

鴻池組に勤務していた時、上司から「会社にある工法ビデオや技術情報資料を体系立てて整理してほしい」と言われました。この機会に今まで現場で体験したことで若手職員に参考になるビデオを制作しようと考えました。出版社からは、主に成功体験を紹介する企画にしたいと言われましたが、私は失敗例を挙げないと参考になったと言われるビデオにはならないと主張し、具体的な失敗例と、その分析を盛り込んで、現場で役立つ内容のビデオと教則本を作りました。その結果、ビデオの売り上げが1億円を超え、関係者とお祝いをすることができたのが嬉しい思い出です。

ビデオが好評だったため、2000年に『土木工事現場の上手な運営法』という共著を出版しました。工事の受注から竣工までを手順に従って、各工程の概略を説明し、留意点やその対処法を伝授したものです。初めて現場に配属される土木技術者・事務職員にも仕事の進め方が一目でわかるよう平易に解説した、現場技術者の必携本です。

ゼネコンの新入社員は現場の監督として、様々な場面で判断を求められますが、経験も少ないので大きな失敗を招くケースもあります。それなのに、工事報告書には成功例しか書かれていません。工事やり直しのコストを減らすためにも、失敗をまとめた事例集が必要ではないか―仕事の中で考えたそんなアイデアが、本の出版に繋がりました。

私のライフワークは、多くの人に読んでもらえる本、自分が出したいとの思いだけの本ではなく、専門家以外の一般の方が読んでも参考になったと言われる本の執筆です。骨格は実体験が反映できる内容で構成し、他の人も一緒に執筆していただけるような企画を考えて、これまでに共著・単著で何冊か出版しました。来年出版されるものの原稿を現在準備中で、再来年にも1冊出版予定です。今後も、重版になるような本を世に出していきたいと思っています。人は死ぬとこの世から無くなってしまいますが、本は残りますよ!

 

        
       
 
 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小野さんの共著書

    

 

 

地方国立大学の学生は「地頭力が強い」

 

Q.弘前大学を志望した理由は何ですか。

A.現役で国立大学に入学したいと思ったことと、都会の大学ではなく、落ち着いた城下町で学生生活をしたかったからです。まだ理工学部がない頃だったので、農業工学科で農地工学(農業土木)を専攻しました。1967年は、入学金が4,000円、授業料は年間12,000円 で、4年間で52,000円の納入で卒業できました。

Q.学生時代に印象に残っていることや、力になったことがあったら教えてください。

A.1969年の学園紛争が印象的です。本部封鎖で行われない授業も発生して、レポートのみで単位を取得した科目もありました。指導教官である長谷部次郎先生の研究テーマが面白そうだったので、先生に「やってみなさい」と背中を押されて、ひとりで続けた研究もありました。(今でいうソフトウェアのプログラミングなど、当時は誰もやっていなかったのです。)

また、映画研究会で撮影・脚本・編集等の活動を経験したことが、後にビデオの制作や書籍の執筆に役立ちました。

弘前は“人を大事にしてくれる”という印象です。

 

Q.特に首都圏での就職を希望する場合、学生時代にやっておいた方が良いことはありますか。

A.どのような仕事に就きたいか、情報収集をすることが大事です。OB・OGを見つけて、ZOOM等リモートでの面談が効果的だと思います。行きたい会社のインターンシップには、積極的に参加した方が良いと思います。

 

Q.弘前大学のような地方大学生が、首都圏での就職活動でアピールすべき点は?

A.企業は、地方国立大学の学生は「地頭力(じあたまりょく)」が高いといって評価しています。ジャカルタ駐在員の時に、人事部長から弘前大学の後輩をリクルートして欲しいとの依頼があったほどです。

 

Q.首都圏での生活について、負担や問題点はありますか。

A.首都圏は情報収集が簡単にでき、映画・演劇・音楽に接する機会に恵まれているので、問題点はあまりないように思われます。特に、私が趣味としている本の執筆、専門誌の連載等は、編集者と簡単に打ち合わせができるので、首都圏の方が良いと思います。いろいろな人と知り合うことができて、活動する分野が広がりました。

 

 

在学生の皆さんへ

 

情報は、インターネットから得るだけでなく、新聞2紙(私は、朝日新聞と日本経済新聞)を毎日読む(購読できなかったら図書館等で)ことをお勧めします。

 

(2020年11月取材)

 

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